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浦和地方裁判所 平成5年(ワ)861号 判決 1995年6月30日

両事件原告

関知江子

平成四年(ワ)第一八五九号事件被告

栗原義和

平成五年(ワ)第八六一号事件被告

不動開発株式会社

右代表者代表取締役

栗原義和

被告両名訴訟代理人弁護士

萬場友章

新谷桂

主文

一  被告栗原義和は、原告に対し、金三〇万円及びこれに対する平成七年四月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告不動開発株式会社は、別紙物件目録一記載の土地内の別紙図面(一)表示工作物の同図面表示A、B点間の部分のうち、地上からの高さ2.00メートルを超える部分を撤去せよ。

三  原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

五  この判決一、二項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  被告栗原義和は、原告に対し、金四〇〇万円及びこれに対する平成五年一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告栗原義和は、別紙物件目録一記載の土地(以下「本件土地」という。)から闘犬を撤去せよ。

三  被告不動開発株式会社は、本件土地内の別紙図面(二)表示の工作物を撤去せよ。

第二  事案の概要

本件は、被告栗原義和(以下「被告栗原」という。)が本件土地内で飼育する闘犬の吠え声等のため、被告不動開発株式会社(以下「被告会社」という。)がその防音設備と称して設置した工作物による日照等の妨害のため、それぞれ日常生活上の精神的、肉体的苦痛を被ったと主張する原告が、民法七〇九条に基づき被告栗原に対して損害賠償を求め、人格権に基づき被告栗原に対しては闘犬の、被告会社に対しては工作物の、各撤去を求めた事案である。

一  前提事実

1  原告(昭和六年一一月一〇日生)は、別紙物件目録二記載の土地(以下「原告土地」という。)及び木造二階建の共同住宅(以下「原告住宅」という。)を所有し、平成元年四月から現在に至るまで、夫長治郎(明治四二年一月二七日生)と共に、原告住宅一階に居住している(甲二、三、一一の2)。

2  被告会社は、土木建築工事請負等を業とする会社であるが、昭和五一年ころに、右原告土地の東側に隣接する本件土地を賃借し、これを資材置場として利用すると共に、その北端の部分にプレハブ二階建建物を設置して、事務所としても利用している(甲一、一五、三七、被告栗原本人)。なお、本件土地と原告土地の境界には高さ約二メートルの浪子板塀が設置されている。

そして、被告会社代表者である被告栗原は、趣味のため、本件土地内で、昭和五八年八月から平成元年末ころまで闘鶏の飼育をし、昭和五八年一一月から現在まで闘犬の飼育を続けている(被告栗原)。

3  本件土地内における闘犬の飼育施設は、本件土地の東寄りに設置された飼育用檻二カ所、前記プレハブ建物一階に設置されたトレーニング場(二台のルームランナーが設置され、その機器の間に囮の猫をおいて一頭ないし二頭の闘犬を走らせて闘犬試合に備えるための訓練をする施設)であり、被告栗原は、少なくとも平成元年以降は、ほぼ常時、右檻で五頭の闘犬を飼育し、また、囮用猫も右建物内で飼育して、随時、右トレーニング場で闘犬競技のための訓練を行っているが、夜間は、本件土地内は無人となり、管理する者がいない(甲一、三五、原告本人、被告栗原本人、平成七年一月一三日実施の検証(以下「現場検証」という。))。

4  原告は、平成元年四月に原告住宅一階に転居後まもなく、闘鶏の鳴き声がうるさいとして、近隣住民の署名を集めて、被告会社に抗議していたが、被告会社は、平成元年六月ころ、本件土地の原告土地に接する付近に、ほぼ境界線を塞ぐように、高さ約五メートル、幅六メートルを超える鋼板製工作物(ラック棚付き)を設置し、その後の一時期、その下部に檻を設置して複数の闘犬をここで飼育していた(甲五ないし七、二三、三五、原告本人)。

5  原告は、平成四年四月ころの深夜、野犬が本件土地内に侵入して、複数の闘犬が吠え続ける事件があって以降、被告らに対し、闘犬による騒音につき、さらに強く善処を求めるようになり、夜間、吠え声がうるさいとして警察官等に通報したりもしたが、被告会社は、同年六月二六日、原告に通告して、前記鋼板製工作物を解体した上、本件土地と原告土地との境界から二一センチメートルのところに、別紙図面(二)表示のとおりの位置、形状の高さ五、四メートル、長さ二二メートルの工作物(スチール製パイプの組足場に、塩化ビニール鋼板に約五センチメートルの厚さの発泡スチロール、ウレタン樹脂を張った厚板を取りつけたもの、以下「本件工作物」という。)を設置し、以後、原告住宅の日照、通風等を阻害するから撤去しろとの原告の要求に対しても、本件工作物の設置による防音効果があると主張して、これに応じない(甲八ないし一〇、一一の1、二五、三三、三五、原告本人、被告栗原本人)。

二  主な争点

1  本件土地内で闘犬を飼育して、吠え声等の騒音を発生させた被告栗原の行為が、原告に対する違法、有責な行為といえるかどうか、また、原告は、人格権に基づいてその騒音の原因たる闘犬の撤去を求めうるかどうか。

(原告の主張)

右闘犬の吠え声は、次のとおり原告が社会生活上、受忍すべき限度をはるかに超えており、損害賠償請求はもとより、闘犬の撤去も認められるべきである。すなわち、

(1) 加害状況

闘犬五頭は、それぞれの檻に飼育されているが、毎日午前六時頃から同九時半頃まで一斉に吠え続け、午後六時頃から八時頃まで再び一斉に吠え続ける。この朝夕の一時間から二時間位の吠え声は、前記トレーニング場でトレーニングしている間に興奮した檻の中の闘犬が一斉に吠え続けるためである。

その他にも深夜早朝において野犬が近づくと激しく吠える。また、夜間は本件土地に誰もいなくなるため闘犬の吠え声も頻繁となる。

また、月に二回位、日曜日の午前九時頃から各地の闘犬業者がトラック一〇数台で、闘犬を持って本件土地に集まり、闘犬試合を行い、それが終わる午後一時ころまで、闘犬の吠え声と悲鳴で本件土地周辺は騒然となる。

(2) 原告の被害

原告は、老齢であり、昼夜に及ぶ闘犬の騒音のため安眠できず著しく体力を弱め、通院することが常態となっている。また、原告の夫・長治郎も八六歳の高齢で軽度の痴呆状態にあり、夜間に闘犬が吠え続けると外に飛び出すことも多く、原告はその都度これを連れ戻すのに苦労している。

また、原告は、原告住宅一階で洋裁教室を経営しているが、闘犬の吠え声がうるさいため、生徒は一日体験をしたのみで入学せず、入学しても中途退学してしまい、開店休業状態が続いている。

(3) 地域状況

本件土地の周辺は、JR京浜東北線の南浦和駅から三〇〇メー下ル以内の住宅、木造アパート等の密集地であり、屋外のわずかばかりの防音板をつけただけで闘犬を飼育したり、闘犬の競技場として使用することには、元々無理がある。

(被告らの主張)

闘犬の吠え声は、次のとおり社会生活上、受忍すべき限度の範囲内である。すなわち、

(1) 吠え声の実情

闘犬は、いずれもアメリカン・ピットブルテリアという種類であり、本来無駄吠えをする犬ではなく、吠え声も大きいものではないし、被告栗原は規則正しい生活の中でしつけをしている。したがって、原告が主張するように連日のように朝夕、夜間に吠え続けることはないし、その吠え声で近隣に騒音被害を与えることもない。

(2) 被告らの加害回避努力

被告会社では、防音のため本件工作物を設置したほか、本件土地に野良犬等が侵入しないように門扉の下の隙間を塞ぎ、闘犬が騒がないように措置した。

(3) 地域状況

本件土地の周辺は、近隣商業地域であり、JR京浜東北線南浦和駅東口から同線に沿って徒歩約五分、ほぼ南に行ったところに位置し、直ぐ西側を電車が、東側公道を自動車が、それぞれ頻繁に往来している。そして、付近一帯は、商業ビル、事務所、商店、資材置場、倉庫、駐車場、空き地、民家、アパート、線路、電車区等が雑然と混在し、閑静な住宅街とはいえないのである。むしろ、闘犬の吠え声よりも電車の通過音の方が大きいのである。

(4) 原告の後住性

被告栗原は、本件土地内で、昭和五六年八月ころから闘鶏を、昭和五八年一月から闘犬を、それぞれ飼育していたのであるが、原告は、その後の平成元年四月に、原告住宅に居住し始めたのである。

2  原告は、被告会社に対し、本件工作物による日照、通風等の阻害が原告の人格権を侵害するものとして、その撤去を求めうるかどうか

(原告の主張)

(1) 本件工作物の設置により、右工作物からわずか六〇センチメートルの位置にある原告住宅の東側は、二階の窓まで日照、通風等を遮られ、その一階に居住する原告は、採光も不十分で一年中、日中でも電灯をつけていなければならず、また冷え込みも厳しく、湿気がひどく、暖房が欠かせない状態であり、日常生活につき、著しい被害を受けている。

(2) なお、本件工作物には、被告らが主張するような防音効果はない。

(被告らの主張)

本件工作物設置については浦和市建築指導課の課長補佐に立ち会ってもらい、法律上問題はないとの確認を得ている。

3  原告が被告栗原の闘犬吠え声発生行為によりどのような損害を受けたか

(原告の主張)

原告の損害は次のとおりである。

(1) 洋裁教室の営業ができなくなったことによる得べかりし利益の喪失額

二四五万円

(2) 精神的損害による慰謝料

一六五万円

三  証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおり

第三  争点に対する判断

一  争点1(闘犬の吠え声の違法性等)について

1  争点1については、不法行為としての違法性の有無・程度、人格権に基づく妨害排除請求権の成否のいずれについても、その行為による被害につき、その加害行為の性質・程度、被害の内容・程度、地域状況、加害者側の被害回避努力の内容・程度、その他の諸般の事情に照らし、被害者において、一般的に社会生活上、受忍すべき限度を超えていると評価しうるかどうかという、いわゆる受忍限度論に従って、判断すべきであるから、以下、その前提たる事情につき吟味する。

2  加害行為の性質・程度

(1) 本件における騒音の原因は、被告栗原が趣味のために飼育する闘犬の吠え声等によるものであることは前判示のとおりである。

(2) そして、証拠(甲三五、乙一、原告本人、第一二回口頭弁論期日における検証(以下「録音検証」という。))によれば、本件土地内の檻に飼育されている闘犬は、昼間は殆ど吠えることがないが、朝夕の食事時には必ず吠え、また、それ以外にも朝夕の時間帯を中心に吠えることが多く、時々、深夜にも吠えることもあり、しかも、ときには複数の闘犬が同時に或いは交互に、かなり長時間吠え続けることもあることが認められる(被告栗原本人の供述中、この認定に沿わない部分は前掲証拠に照らして直ちに信用することができない。)。

(3) もっとも、被告栗原本人の供述によれば、飼育されている闘犬は、いずれもアメリカンピット・ブルテリア種であり、元来むやみに吠える性質ではなく、闘犬としての一定の訓練も施されているから、何の原因もなしに吠え続けることはないものと認められる。そして、甲三五号証(原告の陳述書)や原告本人の供述中、闘犬が毎日のように、朝夕、夜間に長時間に渡って吠え続けるかのごとき部分は、いまだ十分な裏付けがなく、信用するには足りないといわざるをえない。

(4) なお、原告は、殆ど毎日の朝夕に、闘犬トレーニングが行われ、その際に訓練犬以外が激しく吠えると主張し、甲三五号証、原告本人の供述中にはこれに沿う部分があるが、甲第二一号証(写真)以外には裏付けがなく、これに反する被告栗原本人の供述に照らしても、いまだ信用するに足りないといわざるをえない。また、原告は、本件土地で日曜日毎に行われる闘犬試合に伴う騒音についても主張するが、被告栗原本人の供述によれば、本件土地内での闘犬試合は平成二年に行って以降は実施されていないことが認められるから、右主張も採用することができない。

3  原告の被害の内容・程度

(1) 前判示のとおり、原告は、共同住宅に転居後まもなく闘鶏の鳴き声がうるさいとして近隣住民の署名を集めて、被告粟原に抗議を続け、平成四年四月ころの野犬侵入事件後には、闘犬の吠え声がうるさいとして警察官等にたびたび通報しているのであって、しかも、本件訴訟まで提起していることをも考えれば、原告が、闘犬の吠え声のうるささにつき、かなりの被害感を持っていることは容易に推認しうるところである(被告らは、原告が建築紛争に伴い被告らに有していた悪感情から、闘犬の吠え声については何らの被害感もないのに、ことさら紛争をしかけたかのごとき主張をするが、到底採用することはできない。)。

(2) しかも、証拠(甲三五、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、右野犬事件の際には、深夜、長時間にわたり複数の闘犬がかなり激しく吠え続けたのに、本件土地内に夜間管理する者がいない被告ら側は、すぐに対応することができなかったことが認められるのであり、こうしたことが原因となって、原告は、闘犬の吠え声に対して敏感になり、また、被告らの闘犬管理への不信感を強く抱くに至ったものとみることができる。そして、その後も、朝夕はもとより深夜においても、闘犬が吠えることがあり、しかも、ときには複数がかなり長時間吠えることもあることは前判示のとおりであるから、原告の抱く被害感には、相当程度にそれを裏付ける客観的な加害事実があるというべきであり、そうであれば、証拠(甲三五、原告本人)により、原告は、これによって、日常生活の安らぎを乱され、ときに安眠を妨げられることがあると認めることができる。特に原告自身が六三歳と老齢であり、しかも、甲二〇号証によれば、夫である長治郎は八六歳で、軽度な痴呆状態にあることが認められるから、このような状況においては、吠え声による生活影響は、通常の場合よりも強いものとみることができる。

(3) なお、原告は、闘犬の吠え声のために、原告が通院するような病気になったり、長治郎が夜間家を飛び出すとの被害が生じていると主張し甲三五号証、原告本人の供述中にはこれに沿う部分があるが、診断書(甲一九、二〇)だけではこれを裏付けるに十分ではなく、右供述等部分は、いまだ信用するに足りないといわざるをえず、他にこれを証するに足りる証拠はない。

(4) また、原告は、闘犬の吠え声のため、原告が原告住宅で営む洋裁教室に生徒が定着しないで、経済的にも被害を受けていると主張し、甲三五号証及び原告本人の供述中にはこれに沿うかにみえる部分もあるが、甲一四号証(生徒であった川島節子が被告栗原宛に送付したという内容証明郵便)のみではこれを裏付けるに足りず、右供述等部分も、いまだ信用するに足りないといわざるをえず、他にこれを証するに足りる証拠はない。

(5) さらに、証拠(甲五ないし九、被告栗原本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告以外の近隣住民は、原告の働きかけに対しては、闘犬の吠え声により自らも被害を受けていると応じた者もいるが、被告らに対して、自らその被害の回復を求める具体的な行動をした者はいないことが認められる。

(6) 以上のとおり、原告の被害は、被害感はきわめて強いが、客観的な被害としては、日常生活の安らぎが乱されており、安眠を妨げられることもあるという程度の主として精神的な被害に止まるものであり、身体的な影響や経済的な被害までは認めることができないのである。

4  地域状況

(1) 証拠(甲一、二三、三五、三七、現場検証)及び弁論の全趣旨によれば、本件土地は、JR京浜東北線南浦和駅の南約三〇〇メートルに所在し、近隣商業地域に属していること、本件土地の東側、北側は、公道に接しているが、西側及び南側は共同住宅等を主とした住居に接し、付近一帯の建物は夜間にも居住する者が多いこと、原告土地の西側は公道を隔ててJR京浜東北線等の線路敷となっており、時間帯によりかなり頻繁に電車が走行していることが、それぞれ認められる。

(2) 右事実からすると、本件土地付近は、閑静な住宅街とまではいえず、かなりの電車の騒音もある地域ではあるが、浦和市内の交通便利な住宅密集地であり、夜間人口も多い所ということができる。

5  被害の回避努力等

(1) 闘犬の飼育檻が本件土地の東寄り(隣接建物から遠い側)に設置されていること、被告栗原が平成元年末までには闘鶏の飼育を止めたことは、前判示のとおりであり、また、被告栗原本人の供述によれば、被告らは、平成四年の野犬事件後に、野犬の侵入路となったとみられる資材置場門扉の一部を塞ぐ工事をしたことが認められるから、被告栗原は、本件土地内での闘犬等飼育により近隣に騒音被害を与えないように、何らの努力もしていないとはいえないとみることはできる。

(2) また、被告会社が、平成元年に前記鋼板製工作物を設置し、平成四年六月には本件工作物を設置したことは前判示のとおりであるところ、鋼板製工作物については、その後にその下に檻を設置して闘犬を飼育したことからすると、それが闘犬の吠え声による騒音防止の目的で設置されたものとは考えがたいのであり、また、本件工作物についても、その構造上からみれば、ある程度の防音機能を有するものとみることはできるが、吠え声の発生源である檻に対応するのではなく、原告土地ほか西側隣接地との境界全体にわたって、境界線にほぼ接して五、四メートルもの高さの工作物を設置するというのは、原告はじめ被害者に到達する騒音の軽減を図るべく真摯な努力をしたものと評価することは到底できない。

(3) そして、証拠(甲三〇、三一、証人米元洋実、原告本人)によれば、被告らが塞いだのは通用口の扉の下の隙間だけであり、現在の主要な門扉の下の隙間は空いており、野犬が出入りしうる状況にあることが認められる。

6  その他の事情

(1) 被告らは、被告栗原が闘鶏、闘犬の飼育を開始した後に、原告は居住を始めたと主張するが、証拠(甲二、三三五)によれば、原告はそれ以前から原告土地、原告住宅を所有していたことが認められるのであり、しかも、その居住開始に当たり、原告が闘犬等による騒音があることまでを知っていたと認めるに足りる証拠はないから、本件において、原告の後住性(危険への接近)を問題にする余地はない。

(2) 弁論の全趣旨によれば、原告は、平成四年六月二三日に、浦和簡易裁判所に被告栗原を相手方として、闘犬の吠え声による被害についての民事調停を申し立てたが、被告栗原が原告の闘犬撤去要求を受け入れなかったために不調に終わったことが認められる。

7  以上2ないし6で判示した各事情に基づき、判断を進める。

(1) 人が密集して居住する都会地においては、各住民が日常生活の利便さや豊かさを求めて行動する結果、互いに近隣住民に対して様々な影響を与えることは不可避であり、影響を受ける側も一定の限度ではこれを受忍することが要請されるが、各住民の日常生活の平穏の維持は、最大限に尊重されるべきものである。

そして、本件土地の周辺は、閑静な住宅街ではなく電車走行による騒音影響がある地域であるとはいえ、住宅密集地であり、夜間人口も多い所なのであるから、このような地域で、自己の趣味として五頭もの闘犬を、しかも、夜間管理者もいないままで飼育を続ける者は、その飼育により容易に予測される近隣影響を避けるための相応な配慮が求められるのであり、これに対する近隣住民からの苦情には真摯に対応することが要請されるというべきである。

(2) そして、被告栗原が本件土地内で飼育する闘犬の吠え声につき、原告は、強い被害感を訴えているのであり、しかも、その被害感は、朝夕だけでなく、ときには深夜にも、かなり長時間吠えることがあるという客観的な事実による裏付けられたものなのであり、原告は、自らが老齢で、高齢な夫を抱えていることもあって、一般以上に強く被害を受けやすく、具体的にも日常生活の安らぎを乱され、安眠を妨げられることもあるのであってみれば、被告栗原は、そうした被害、被害感に基づく原告の苦情、抗議に、真摯に対応することが求められたのである(特に、同じ騒音被害といっても、交通騒音等のようにその発生時期、継続時間、その程度等の内容がある程度予測しうるものと違い、闘犬の吠え声は、それら内容を予測することが困難であるから、吠え声についての被害、被害感は、その物理的な音の大きさや時間的な長さだけで軽く考えることができないことに思いを致すべきである。)。

(3) しかるに、被告栗原側の対応は、鋼板製工作物の設置からして、むしろ、原告の苦情を圧殺することを意図したのではないかと疑われかねないほど、挑発的な不適切なものであり、むしろ、原告の被害感を増幅する結果に終わり、本件工作物の設置も、その設置前後の経過からすると、客観的にも、もっぱら防音を意図したものとは評価しがたいものであり、紛争当事者たる原告がむしろ嫌がらせの措置とみるのも無理からぬところがある。このように、被告栗原は、被害者である原告の苦情、抗議に対して、総じて真摯に対応してこなかったものというべきである。

(4)  そうであれば、被告が本件土地内で飼育する闘犬の吠え声は、原告に社会生活上、受忍すべき限度を超えた被害を与えてきたものと判断すべきであり、したがって、被告栗原は、吠え声により原告が被った損害につき、民法七〇九条に従い賠償すべき義務があるということができる。

しかし、これまでの本件土地内での飼育闘犬による吠え声が、原告の受忍限度を超えるものであったからといって、飼育方法、管理方法、防音方法等の変更により、吠え声の発生や到達を減少させ、被害を軽減することは可能なのであるから、本件土地内で闘犬を飼育することが、必然的に、原告の受忍限度を超える吠え声発生につながるものと推認することはできないのであり、そうであれば、原告に本件土地内からの闘犬撤去請求権があるということまではできないといわざるをえない。

二  争点2(本件工作物撤去請求の成否)について

1  争点2についても、基本的には、被告会社が借地権を有する本件土地内に設置した本件工作物について、その隣接地に居住する原告は、これによる日照、通風阻害に関し、社会生活上は一般的に受忍すべき限度を超える被害を受けているといえるかどうかという、いわゆる受忍限度論に従って、その撤去請求の成否を判断すべきである。

2  そして、本件工作物は、闘犬の吠え声に対する苦情があるので、原告住宅をはじめ隣接住宅の住民に対する防音が主たる目的であるとして、既に境界塀はあるのに、あえて、境界線に殆ど沿うように五、四メートルもの高さで設置されたものであることは、前判示のとおりであり、またその構造からして、ある程度の防音効果があるものと推認することができる。

3  しかし、証拠(甲二五、三二、三三、三五、三六、原告本人、現場検証)によれば、原告住宅の東面は本件工作物西面からわずか六〇センチメートルしか離れておらず、本件工作物は、その東面二階の窓をも完全に覆う高さに達していること、そのため、原告住宅は、東面からの採光を全面的に奪われ、日の出から数時間の日照も阻害され、通風もかなり阻害されていることが認められる。そして、本件工作物の設置が原告住宅に対し右のような影響を与えることは、その相互の位置・高さの関係から必然的なものであるから、被告会社も、その設置前から当然に右結果を予測していたものと推認されるのである。

4  そうであれば、被告会社は、むしろ、闘犬の吠え声に苦情を述べる原告に対する嫌がらせの目的で、防音施設に名を借りて本件工作物を設置したとすら推認する余地がある。

5  しかも、前判示のとおり、防音目的での工作物設置の必要が認められるとしても、その設置場所が境界に沿う位置でなければならない理由はないのである。

6  以上のとおり、防音目的で本件工作物を設置することの必要性は薄く、むしろ、加害目的まで疑われるのであり、他方、その設置により右のようにかなり大きな被害を原告に与えているのであってみれば、その設置による被害は、原告が一般に社会生活上受忍すべき限度をはるかに超えているというべきであり、原告は人格権に基づきその撤去を求めうるというべきである。

7  但し、原告が、その撤去を求めうるのは、その設置により新たに自ら被害を受けた部分に限られるのであり、高さとしては、既存の境界塀の高さを超える地上2.00メートルを超える部分だけが、幅としては、原告に対して被害を与えていることが明らかな原告土地境界線に沿う部分だけが、撤去の対象となるというべきである。

三  争点3(損害賠償の範囲)について

1  前判示のとおり、洋裁教室経営への影響等の経済的被害は認められないのだから、右被害を前提とする逸失利益分の損害賠償を求める余地はない。

2 慰謝料請求については、被告栗原の対応が悪いために被害感が増幅されているとはいえ、その被害内容は、日常生活の安らぎを乱され、安眠を妨げられることがあることを主としたものであり、しかも、必ずしも毎日のように具体的な被害があるものでもないことを考慮し、他方、平成元年四月以来、弁論終結時(平成七年四月二一日)まで約六年間も右のような被害が継続してきたことを考慮するときは、弁論終結時までの精神的損害に対する慰謝料としては、金三〇万円が相当であるというべきである(なお、右慰謝料額は、弁論終結時までに生じた精神的損害に対して不可分的に算定されたものであるから、これに対する遅延損害金は、弁論終結時を始期とするとみるべきである。)。

(裁判長裁判官小林克巳 裁判官中野智明 裁判官瀬川裕香子)

別紙図面(一)(二)<省略>

別紙物件目録

一 浦和市南浦和三丁目一三六一番五

畑 五一五平方メートル

二 浦和市南浦和三丁目一三六一番一〇

雑種地 一〇三平方メートル

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